味覚表現のデフレ
テレビのグルメ番組では、なにを食べても、「あまい」「やわらかい」「濃厚」という表現ばかりでてきます。
それを言っておけば、美味しさを表現できるかのように。
昨日丁寧に取材いただいた雑誌の方と、この話になりました。
「濃厚ですね」というので、「本当に濃厚ですか?何と比較して濃厚と表現するのですか?」と。難癖をつけたわけではなく、そのまま記事になってしまうので、こちらの思いを知っていただきたかったので。
「チーズのこえ」のソフトクリーム。
現在送っていただいている高森牧場(紋別市)の牛乳はとくに、「濃厚さ」を求めていない。のどごしのよさ、あとあじのよさ、それが特徴だと思っています。
乳脂肪分は、夏場の放牧時期は特に低く、乾草主体となったいまでも配合はなしなので、それほど高くありません。
お客さんによっては、「さっぱり」「のどごしがよい」「甘いのにすっきり」と表現していただいています。
古来、日本の食に対する味覚表現は、とても繊細。
とくにダシ文化から始まり、触覚、味覚、嗅覚と一体となって、味わうもの。単に味だけの官能評価だけではなく、一体となって味覚となり、さらに広義には、食べる場所、一緒に食べる人、季節、温度。そんなことも全て「味覚」に影響されます。
日本語の「甘い」という言葉。
これ1つとっても、とても奥が深いのです。
包丁の切れが甘い。ネジの締めが甘い。詰めが甘い。考え方が甘い。娘に甘い親。甘い採点。蛇口のネジが甘くなっている。釘の打ち込みが甘い。
甘いは、必ずしもプラスのイメージだけではありません。
味覚の基礎となる「甘い」「酸っぱい」「苦い」「塩辛い」。
では、日本食の魅力ともいえる「うま味」は、どういうものなのでしょうか。
単に、グルタミン酸やイノシン酸などの「うまみ成分」の多少だけに左右されるものでもありません。
チーズについていえば、誰かが美味しいと言っている、なにかの賞を受賞している、値段が高い。
そういうことでお客さんにチーズを紹介するのではなく、ひとりひとりの「うまい」の「基準軸」があるのであり、北海道ナチュラルチーズコンシェルジュは、その基準軸に寄り添っていきたいと思うわけです。
これって、いままでなら、近所の対面の八百屋、魚屋、肉屋さんが、当たり前に寄り添ってくれていました。
江東区には、砂町銀座など、古きよき商店街がたくさんあります。町の小さな豆腐屋さんもあります。
いつも同じものがある便利さはありません。
小さな工房のものは、一時期しかないものもあるでしょう。でも、偶然出会えた喜びがあります。
旬によって、しばらくお目にかからないものもあるでしょう。でも、その季節を迎えられた喜びがあります。
チーズのこえは、「味覚表現のデフレ」を脱却し、食でワクワクを広げられる、そんな場所となるよう精進していきます。